2022/03/19 16:01

こんにちは。

前回、小さなノートと詩について書きました。

小さなノートをなくしかけた私は、WEB上に投稿しようと考えました。
そして、2020年の5月「note」に投稿し始めました。どこにでも放り投げられるノートよりも、幾分かこっちの「note」の方が記録を残しておくのに十分信頼できると考えました。
もちろん、急にサービスが終了して、結局文字情報を全て失ってしまう可能性はあるわけですが。



それにしても「凍える言葉」とは何なのでしょうか。本という形にするために、何度も何度もこの言葉を目にしていますがさっぱり訳がわかりません。
詩の内容も何が言いたいかわからないし、その癖何か気取った雰囲気を醸しています。思想も風景も何も含まれていない、つまらない詩です。

前の記事を見てもらうとわかりますが、こんな詩だとしても、何度も何度も書き直してようやく形にしています。
なぜそこまでして、詩のような「かたち」にしたかったのでしょうか。
「それはお前が一番わかっているだろ!」と言われるかもしれませんが、よくわかりません。
そもそも、なんで詩を書こうとしたのかもよくわかりません。
なぜ、文字を書きたくなってしまったのか、謎です。

とはいえ、私は二十歳くらいの時から何か「ものづくり」をしたいという願望を持っていました。
何かつくりたい物事があって、それを誰かにみてもらいたい、という。
私は、地元で若いアーティストを集めた展示会をキュレーションすることがあります。
その時、彼らを羨ましいとずっと思ってきました。何かつくりたいものがあって、つくられたものはまさに人の手によって魂を宿しているような気がしていました。ちょっと言い過ぎかもしれません。何だこんな作品、と思うこともあります。しかし、「作品」と思っている時点で既に私は、首を垂れているのです。「作品」、いい響きですね。

もしかすると私は、何でもいいからかたちあるものをつくりたかっただけなのかもしれません。
それがたまたま、詩のような何かだった・・・。

だいぶ話が脱線してしまいました。
noteに詩を投稿し出すと、ポツポツリアクションをもらうようになりました。それはそれで嬉しかったのですが、どうもつまらなかった。
そこで私は、周りの人に「詩人になるんです。いや、詩人なんです」というようになりました。
すると、不思議なことが起きるようになりました。

何が不思議か、いや、別に不思議ではないですが、その話は次の記事にて!